古典を読んで考えるブログ

東洋古典を中心に読んでいって、日常起こる出来事とつなぎ合わせて考えるブログです。

信、義に近ければ言復むべきなり ~ベターの積み重ねがベストにつながる

今日は義理のご両親にオーボンヴュータンのシュークリームを購入。オーボンヴュータン(Au bon vieux temps)は「古き良き時代に」という意味。・・・の割に価格が超ハイレベルでびっくり。自分用には買えませんな。。

さて、今日の章は解釈がいっぱいあって、ちょっと難しいです。

 

有子曰く、信、義に近づけば、言ゲンむべきなり。

キョウ、礼に近づけば、恥辱に遠ざかる。

インも其の親シンを失はざれば、亦マタ宗とすべきなり。

論語‐学而一‐13)

 

【解釈】

約束(信)は、それがまさしく人の道である、正義であるといえれば問題ないけれども、まあそれが道義に近づくようなものであれば履行してもよいでしょう。

表敬も、まさに礼儀作法に則って完璧であれば勿論よいけれども、まあそこそこ礼儀にかなっていれば恥を受けることは少ないと言えます。

人に頼ることも、いや勿論独立独歩でやっていくにこしたことはありませんが、その情義・友情の範囲におさまっているのであれば、それはまた大切にしてよいものだと思います。

要するに、物事にベスト有り、セカンドベスト有り、ということで、常に完璧を追い求めて何もできないよりは、少しでもベターを積み重ねた方が最善に近づいていけると考えるのです。

 

イチローの話で面白いことを聞いたことがあります。

「目標は高すぎるとダメ」だそうです。「目標が高すぎて手に届かなかったらどうするんですか。そこで諦めてしまうでしょう。それは目標としておかしいんじゃないですか。まず自分がクリアできるところに目標を設定して、それをクリアできたら次の目標を立てればいい。」これは重要な指摘です。

一方で、何か練習をする時は必ず明確に目標を持つこと、目標がないのに練習しても意味がない、それならいっそ身体を休めたりリフレッシュする方がよい、というわけです(『致知』2015年3月号 pp.54-58)

私も銀行員だった頃に「一日一工夫」を心がけていました。イチローほど徹底できていなかったのは反省ですが、ファイルのしまい方でもいい、印刷の仕方でもいい、電話メモの置き方でもいいので、何か一日一工夫しようと決めて、それを毎日やれば一年後には365個の工夫になり、それは他の人との大きな違いになります。また、その工夫を考える過程でまた色々なことを学ぶので、思考が深くなる気がします。

多くの場合、ゼロかイチか、あるいは思い立ったら吉日で始めてはみるけれど三日坊主で続かない、ということがよくあります。本当は三日坊主でやめても五日目から再開すればいいのに、それができない。そしてゼロに戻っていく繰り返しです。

そう考えると、人はそんなに完璧でいられるわけでもないし、初めからできるわけでもない、人に頼ってもいいし、目標は低くてもいい、でも継続して毎日目標を決めて実行し続けること、この心がけがとんでもない差を生むのでしょう。

 

田中真澄さんが講演で、3種類の凡人の説明をされていました。

  • 少し頑張る凡人(=1.01)
  • 普通の凡人(=1)
  • 少し怠ける凡人(=0.99)

これを100乗すると、なんと少し頑張る凡人は2.7になり、少し怠ける凡人は0.37になってしまいます。1を1.01にするには少しの目標を持つことが大切です。手の届く範囲でいいと思います。それを続けていくこと、諦めないことが自分の成長につながるように思って今日も頑張ります。