古典を読んで考えるブログ

東洋古典を中心に読んでいって、日常起こる出来事とつなぎ合わせて考えるブログです。

故きを温ねて新しきを知る ~賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

本日は日本語でも四字熟語になっている有名な章です。

 

子曰く、故フルきを温タズねて新しきを知る、以て師と為るべし。

論語‐為政二‐11)

 

【解釈】

温故知新、過去とは連綿と続いている人間の歴史です。その歴史を尋ねていってそこから現在に対する新しい意義をくみ取ることができる人は、人民の指導者になることができます。人は歴史を学べば現在の事象には疎くなり、新学問を学べば過去の歴史には見向きもしなくなってしまいがちです。新旧両方に目を配り、都度都度新しい発見をしていけるような人間こそ、人を教えることができるのでしょう。

 

日常的に「温故知新」と言いますが、なんと難しいことでしょう。歴史は繰り返すといいますが、同じ過ちを何度も繰り返すのが人間の業かもしれません。素直に過去に学び、進取の気性で新しい物事に取り組んでいく、その姿勢自体が素晴らしいものです。敬老や年長を敬うというのもこの意義が大きいように思います。

ドイツのビスマルクは「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いました。(原文は「愚者は自分の経験から学ぼうと思うが、自分は過ちを避けるため、他人の経験から学ぶことを好む」)

他人の経験に照らして自身の考えを深めること、というのは案外難しいものです。研修に行って良い話を聞いたという人のどれだけが、実際に自分の生活にその妙味を取り入れ、工夫して活かしているでしょうか。他社の話を聞いて、「それはおたくの場合ではないか」と一蹴する人がいかに多いことでしょうか。

誰も歴史や過去をそのまま真似しろとは言っていません。そこからある種のインプリケーション、示唆を受け止めよといっているのです。それをフラットに、素直に受け止め、自分に活かすことができること、それが歴史や文化の積み上げになると思うのです。

 

安岡正篤先生によれば、「温」という字は「溫」で、囚人に水もやり、飯も食わせ、なぜそんなことをしたのかと尋ねていくところから「たずねる」と読み、ゆえに温かいという字をあてるそうです。

温故知新、古きを尋ねるときも、そのような温かい心で見つめ直したいものです。