三年父の道を改むること無きは孝と謂うべし ~父親の品格
マレーシア滞在も4日目に入り、遂に明日帰国です。やはり少しでも現地に入って自分で見聞きすることが大切だと改めて感じました。
さて、今日は孝行についてです。
子曰く、父在イマせば其の志を観ミ、父没すれば其の行いを観ミる。
三年父の道を改むること無きは孝と謂うべし。
(論語‐学而一‐11)
【解釈】
父親が存命の時は、その志、何を考えて家族を率いているのか、どういう思いで子を養っているのかを考え、父が亡くなった後は、父の足跡を辿ってどういうときに何を行ったのかを考えなさい。
そうして長い間、父親の道、求めていたものを改める必要がない、父は立派だった、もっともなことを行っていたのだなあと思うのであれば、それはまさに「孝」、世代をまたいだ連続性、継続性の中で進歩向上していく優れた道ということができるでしょう。
この章は「三年間父のやり方を踏襲するのであれば孝行者といえるでしょう」と解釈されていますが、それはやや表面的にすぎると感じます。
「孝」は子供が老人を背負っている形を表していて、父と子、上司と部下、先輩と後輩の協力、連続性の中でどんどんと進歩向上していくことを表す漢字です。子供に対してだけではなく、親に対しても孝というものは求められるのです。
今も昔も親父が道楽者で身上を潰してしまったと言う話は山ほどあるはずで、そういう親のやり方を踏襲せよというはずがありません。存命中はしっかり親をサポートするにしても、反面教師で自分の代でより良くしていくことも重要です。
一方で、やはり尊敬できる父であることが望ましいことはいうまでもありません。お父さんは偉かった、あんなお父さんになりたいと子供に思ってもらえるような父親であろうとしなくてはなりません。そしてその連続性の中で、父は子の模範となり、子供は言われるでもなく父の後を追う、そこに過去からの継続性と新世代の新規性を含んだ円満な進歩発展があるのだと思うのです。
人間は色々な経験を経て考えを深めていくものですから、小さいときは分からなかった父親の気持ちも今になってみるとしみじみ分かる、ということもあります。そしてそれを祖父から父、父から私、私から息子へと受け継いでいくのかもしれません。
私にとってこの章は、子に対してではなくむしろ父へのエールのような気がしています。