違うこと無し ~破壊は創造を生まない
目の前の道で工事をやっていて朝からうるさい・・・。なんだか去年からしょっちゅう引っくり返しているような気がする。。
今日はまたまた「孝」についてです。
孟懿子モウイシ、孝を問う。
子曰く、違タガうこと無し。
樊遲ハンチ御ギョたり。子之に告げて曰く、孟孫モウソン孝を我に問う。我対コタえて曰く、違タガうこと無しと。樊遲ハンチ曰く、何の謂いぞや。子曰く、生けるには之に事うるに礼を以てし、死すれば之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす。
(論語‐為政二‐5)
【解釈】
魯の三大夫の一人、孟孫が孔子に「どうしたら孝と言えるでしょうか」と聞き、孔子は「違うことがないようにせねばなりませんな」と答えました。
※当時の魯は三大夫が専横を極め、君主をないがしろにした寡頭政治を行っていました。
御者をしていた樊遲にそんなことがあったよ、と孔子が言ったところ、樊遲は「どういうことでしょうか」と素直に聞き返します。孔子の説明は以下の通りです。「生きているときに父母に仕えるのも礼儀を忘れず、両親が亡くなってからは葬るにも、祭るにもきちんと礼儀に則って行い、礼儀に違うことがないようにしないと孝とは言えない、ということだよ。」
エジプトではムバラク大統領がアラブの春で失脚したのち、民主化後初めてのムルシー大統領が誕生しましたが、たった1年間で失脚し、2013年のクーデターにつながります。そのムルシー元大統領は反政府デモに際し、支持者に刑務所を襲撃させ、囚人の脱獄を促した疑いで死刑を要求されている状態です。
日本はクーデターなどが殆ど起こっていない稀有な国ですが、世界を見渡すと、孔子の頃の戦乱の世の中、政情不安の国が山ほどあって、混乱は全く変わっていないといってよいと思います。この魯の大夫が何を思って孔子に孝道を聞いたのかはわかりませんが、魯国の状況を孔子が憂いていたことは間違いありません。
先般も孝について書きましたが、孝というのは子どもが老人を背負っている漢字で、世代間の連続・継続、それに伴う進歩発展を表す漢字です。革命があるだけでは何も生まれないのと同様、政治においても連続性を以て進歩発展していくことが何より重要なことであるのは、アラブの春を見てもわかりますし、今のイスラム国をみても一目瞭然です。
人や役職にはそれぞれ分限というものがあります。いくら良いことをやっていても、その分限を越えてしまうと調和を乱して全体がうまくいかなくなってしまうことにもつながります。論理一本やりで人の世が収まるはずもなく、物事には順序が大切なものです。そんな中、孔子が孟孫に「違うこと無し」といったのは、きわめて痛烈であると同時に、世の中全体を治めることを考えれば重要なことだと思います。
戦後の教育は間違っていた、という話がよくありますが、確かに戦前と戦後では断絶があります。この断絶が問題になります。革命(revolution)ではなく維新(evolution)でなくてはならない、というのは安岡正篤先生の年来の主張ですが、何かを壊したら新しくなるというのは妄想でしかありません。最近の司法制度改革や農協改革なども含めて、根本的に新しいことを行うにせよ、古いものをよく活かす形で行っていくこと、この視点が必要です。