学びて時にこれを習う ~一日一日を理想の実現に向けて
最も有名な古典の一つである『論語』から読んでいこうと思います。
多分人生経験やその時々の考え方によって理解の深さが変わってくるのだろうと思いますが、今の時点での自分の解釈を書いておくのも意味があるように感じます。
子曰く、学びて時に之を習う。また悦ばしからずや。
朋有り、遠方より来る。また楽しからずや。
人知らずして慍みず、また君子ならずや。
【解釈】
私たちは師から学び、雛鳥が羽ばたく練習をするように、子どもが言葉を練習するように、日常の中で不断に学びを実践し、身に付けていきます。
その中で少しずつ自分が成長し、できなかったことできるようになる、自然にできるようになってくる、次第に習熟してくるのは何とも嬉しいことではないでしょうか。
切磋琢磨する学友・道友がいます。自立してからはなかなか会えないけれど、時折は会って話をし、刺激を与え合い気持ちを新たにすることができるのも、何とも楽しいことだと思います。
そんな自分たちの気持ちは人には分からないかもしれません、努力を続けていても意味のないことをと理解されないかもしれません。それでも腐らずに続けていくというのが立派な人間というものです。そしてそういう人間でありたいと思うのです。
習うという字は雛鳥が巣を離れようとして飛ぶことを学ぶという字らしいです。
雛は本能的に飛ぼうとしますし、子供は自然と言葉を覚えようとします。そしてできるようになってからは自然と苦労なくできるようになる。
ただ、そのレベルはやはり人それぞれなのだと思います。言葉の使い方にせよ、「ペラペラ」かもしれないけど品が無い人もいれば、とても美しい話し方をする人もいます。
バイリンガルの人でも継続的に努力しなくては両方の言語を完全に使いこなすレベルには達しないように見受けられます。
どこに目標を置くか、どこに理想を置くか、そしてそれに向かって日常の中で毎日、毎分、努力を続けていけるか、そしてそれに喜びや感激をもてるか、他人に理解されなくてもいい、自分にとっての大切なものを自分の中に持てるか、そういうことの大切さを感じます。
稲森和夫さんだって孫正義さんだって若いころから物凄い努力をされたといいます。でもそれ自体は一歩一歩地味な努力の積み重ねでしかないはずです。くじけそうになったことも何度もあるのではないかと思います。そこを乗り越えて継続する、熱い気持ちと実践が何よりも大切なのでしょう。人に何を言われようが関係ない、自分の信じた道を行くのだという熱い気持ちがあったはずです。
孫さんの講演で、
「若い時間は二度と来ない」
「一日一分一秒を真剣に生きなさい」
といった趣旨の言葉がありました。
自分を振り返ってまた、気持ちを新たにしました。
「昨日あなたが何となく過ごした一日は、昨日亡くなった方が必死に生きたいと願った一日である。」
■トビタテ!留学JAPAn 日本代表プログラム 第1期派遣留学生壮行会 支援企業からの激励メッセージ ソフトバンク株式会社 代表取締役社長 孫正義様