北辰其の所に居りて衆星之に共うが如し ~理想に向けた努力を
今日から為政第二に入ります。
子曰く、政マツリゴトを為すに徳を以てすれば、譬タトえば北辰ホクシン其の所に居オりて衆星シュウセイ之に共ムカうが如し。
(論語‐為政二‐1)
【解釈】
政治に当たって、刑罰などによる法治主義ではなく、徳をもってする徳治主義で行えば、例えば北極星が動かずして周りの星が付き従うように、自然と調和のとれた形で物事が規律正しく収まっていくものです。
徳というものは身に付けることができるものなのでしょうか。よくそんなことを考えます。学生の頃、特に勉強やスポーツができるわけでもないのですが、この人の話ならきいてみよう、この人の話なら賛成しよう、と思わせる人がいました(私にそんな才能は有りませんでしたが・・・)。
こういうものは持って生まれた徳なのかもしれません。「徳」は「得」に通じ、たいそう羨ましかったことを今でも思い出します。まさに自然と皆の間で調和が生まれ、物事が収まっていくような感じでした。
そういう徳、というものを理想とする反面、どうしても法治主義のような信賞必罰が求められるのが現実ではあります。ビジネスでも結局、成果を出した人に対して「褒賞(appreciation)」「承認(recognition)」「報酬(compensation)」を与えなければ士気にかかわります。
徳とは一体何なのか、そしてそれは後天的に学んで身に付けることができるのか、そんなことを考えながら、でも努力して一歩でも近づいていくしかないのだと思います。先日紹介した下村湖人の言葉ではありませんが、徳のある完璧な状態がよいにせよ、それが現実ではないのであれば、それに近づいていこうとする努力を行うことが各人の義務であるという気がするのです。
北極星の輝くように、それは光り輝く存在として孔子もなお神聖なものとしているように思います。