古典を読んで考えるブログ

東洋古典を中心に読んでいって、日常起こる出来事とつなぎ合わせて考えるブログです。

思い邪無し ~文芸は民族精神の表れ

最近は雨が降って少し気温が下がりましたが、本格的に暑くなってきましたね~。

紫外線が気になる・・・。

さて、本日は西郷さんも好きだった文章です。

 

子曰く、詩三百、一言以て之を蔽オオう。曰く、思い邪ヨコシマ無し。

論語‐為政‐2)

 

【解釈】

詩経は三百篇、それを貫く精神は「思い邪無し」、つまり至誠ということです。

 

思い、邪無し。無邪気というのは本来このような意味なのかもしれません。

至誠の人と呼ばれる西郷隆盛もこの言葉を好きで軸にも書いていたような気がします。

詩経と呼ばれるものは、もともと天子が諸国の風俗民情を調べて施政の参考にしようと集められた民謡やその他の詩などからなるもので、孔子が三千余りのものを三百ちょっとに編纂したものと言われています。

人が勉強をする対象として重要なものは主に三つ、「理論」「歴史」「文芸」と言われます。理論を実証しているのが歴史、そして感情教育、情操教育というものが文芸です。アダムスミスも『国富論』と同時に『道徳感情論』を書いているわけで、世の心ある識者にとって、感情の重要性は言い尽くせないものがあります。

今般の大阪都構想についても、結果的には否決されましたが、府民・市民の感情をよくよく理解してことを運んでいけば違う結果になったかもしれません。タイミングも重要です。

詩というものは文芸であり、民族感情が色々な形で発露したものといえるでしょう。そこには原始的だからこそ技巧的でない、無邪気な、ストレートな思いが込められています。それを押さえ、政治も同様に誠を尽くさなければ、結局長続きしないのでしょう。作為というもの、人為というものは「偽」に通じますから、やはり至誠天に通ずで物事に当たる必要があります。

一方で今の日本ではこの文芸に対する評価が極めて低いのも気になります。これほど重要な、国民感情を表し、民度を測るものはありません。国語や芸術分野に関する社会的評価をもっと高めていかないと国民性というものを失ってしまい、それを治める政治というものも漂流してしまうような気がしています。