古典を読んで考えるブログ

東洋古典を中心に読んでいって、日常起こる出来事とつなぎ合わせて考えるブログです。

民免れて恥ずること無し ~国民の民度を上げるには

我が家には小さい子供がいるのですが、夜泣きせずにしっかり夜寝てくれているのがとても助かります。朝にしっかり朝日を浴びさせるのがやはりポイントでしょうか。

朝こそ全て、という言葉もあり、なるべく朝方の生活にシフトしなくてはと思っていることもあり、子供に合わせて早寝早起きを心がけようと思います。

今回はとても東洋的な文章で、私も好きな一節です。

 

子曰く、之を道ミチビくに政を以てし、之を齋トトノうるに刑をもってすれば、民免れて恥ずること無し。

之を道ミチビくに徳を以てし、之を齋トトノうるに礼を以てすれば、恥ずる有りて且つ格タダし。

論語‐為政‐3)

 

【解釈】

人民を導き治めるのに政令や刑罰を以てすると、人民は「上に政策有り、下に対策有り」でなんとか法の網をかいくぐって得々とし、恥じるということがありません。法律で人間を抑えようとするのは次善の策であり、また本末でいう末であります。

徳を以て人民を導き、社会秩序・調和を実現する礼儀を以て人民を治めれば、人民も自然と自らの行いを恥じることを知り、かつ正しく振舞うようになるでしょう。まずは徳や礼にて民を治め、その後に政令や刑罰をうまく用いることが本来の在り方です。

 

同様の文章は、礼記にも「子曰く、それ民、これを教ふるに徳を以てし、これを齋ふるに礼を以てすれば、即ち民格心あり。これを教ふるに政を以てし、これを齋トトノふるに刑を以てすれば、即ち民遯心トンシンあり」(緇衣33)とありますし、孔子家語にも「子曰く、太上は徳を以て民を教ふ。しかして礼を以て之を齋トトノふ。その次は政治を以て民を道びき、刑を以て之を禁ず」とあります。

法治主義というものも、そもそもの前提に道徳というものがなければ機能しません。私は法学部を出ましたが、そこではよく「道徳は強制力がないが、法は強制力を伴う」という議論がありますが、一知半解といえる認識でしょう。実際の法の理念を実現しようとすれば、そのベースになる道徳というものがしっかりしていなければ、法律を破る人民とのいたちごっこになってしまい、趣旨を没却してしまうといわなくてはなりません。

先日も「君子は本を務む」という文章について触れましたが、本末という意味でいえば、道徳・礼儀、即ち社会規範が本、刑罰や政令などの人為的な方法は末となるでしょう。所詮すべてを法律で決めることはできません。

いずれにせよ、外発的な動機から物事に当たるのではなく、内発的な動機を育てなくてはいけません。アメとムチだけではなく、そもそものモチベーションを高めなければ、それはテンションの世界で終わってしまいます。

好きで好きでたまらなければ努力も長続きしますが、やらされでする努力は長続きしません。企業の実務でも形式的に数字合わせをしてお茶を濁すことがありますが、本質的に意味がないということ知るべきだと思います。

2020年までにプライマリーバランスを是正するとして色々な議論がなされているようですが、2020年に赤字がなくなればよいという話ではありません。そこの数字を達成すると同時に、その後の財政健全化が円滑にすすむような形で2020年を迎えねば奈良にという意味で、単なるプライマリーバランスの是正という形式には意味がありません。まさにつじつまを合わせて、「民免れて恥ずること無し」という状態になってしまいます。

実質できちんと議論すること、形式論でお茶を濁さないこと、これが国民の民度というものであろうと思うのです。