下村湖人『青年の思索のために』 ~地に足の着いた希望の本
論語の学而編が終わったので、このタイミングで読書案内をします。
為政編が終わったらまた一冊、という風に区切りのタイミングでこのブログの趣旨に沿うような書籍を少しずつ紹介していこうと思います。
今回の書籍は下村湖人の『青年の思索のために』(2009年再版、PHP研究所)です。
本書はイエローハットの鍵山秀三郎さんが座右の書としているというので有名な本です。下村湖人といえば、小学生の時に『次郎物語』を読んだり、大人になって『論語物語』を読んだりと何かと縁がありまして、青少年教育に大変尽力された方です。
本書は短編がいくつも並んでいるもので、大変簡潔かつ読みやすい筆致でかかれておりますので、すぐに読めると思います。ですが、書いてある内容はどれも大変考えさせられる深い中身になっています。
・明白な道理
すべての人が、まず食うことを保証されない限り世の中がよくならない、ということはたしかである。しかし食うことをまだ十分保障されていないのが現実である限り、ひもじさをこらえて世の中をよくしようと努力することがすべての人の義務でなければならない、ということもまた確かである。(p.184)
最近の政治は経済一辺倒ですが、経済だけで物事が語れるのであれば人間としての価値はありません。経済も重要だけれども、精神面がそれを乗り越えることができる可能性に人間らしさがあると思うのです。
・中江藤樹の言葉
学ぶことは、人の上に立つ道ではなくて、人の下に立つ道でなければなりません。中江藤樹は学問についてつぎのようにいっております。
「それ学は、人に下るを学ぶものなり。人の父たることを学ばずして、子たることを学び、師たることを学ばずして弟子たることを学ぶ。よく人の子たるものはよく人の父となり、よく人の弟子たるものはよく人の師となる。自ら高ぶるにあらず、人より推して尊ぶなり。」(pp.65-66)
学ぶことは人の上に立つ道ではなく、人の下に立つ道でなくてはなりません。学びのない人ほど自分が偉いと思いたがるのも世の常です。常に謙虚でなければ成長もなく、人から尊敬されることもありません。こんな当たり前のことが通常の我々にとっていかに難しいことでしょうか。
本書はこういう当たり前ながらに言葉に出来ていなかったことが多く、非常に勉強になります。是非ともご一読を勧めます。
最後に、本書の最後の文章を引用しておきます。
・人間とは
どんなに堕落しても向上の機会を持ち、どんなに向上しても堕落の機会を持つ。それが人間である。 (p.252)