古典を読んで考えるブログ

東洋古典を中心に読んでいって、日常起こる出来事とつなぎ合わせて考えるブログです。

君子は重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず ~重くないとダメだが固くてはやっぱりダメ

クアラルンプールをトコトコ歩いていると汗が噴き出してきますね。暑いです。

なぜマレーシアが他のアセアン諸国に先駆けて成長しシンガポールに続く第二の国になれたのか、これから更に発展するにはどうすればよいのかな、などと考えながら町歩きをしていました。

さて、今日は少し様子の違う章です。

 

子曰く、君子は重からざれば則スナワち威あらず。学べば則スナワち固ならず。

忠信チュウシンを主とし、己オノレに如かざる者を友とすることなかれ。過アヤマちては則スナワち改むるに憚ハバカることなかれ。

論語‐学而一‐8)

 

【解釈】

位の高い人間はどっしり落ち着いていないと威厳というものがありませんから、軽佻浮薄であってはいけません。一方で学び続ければ自分の意見に固執したり執着して凝り固まったりすることは無く、実に融通無碍であるものです。学び続けなさい。

つまり人に忠実であること・誠実であることは基本です。しかしそれで凝り固まってしまっては本末転倒ですから、学び続けること、具体的には共に切磋琢磨できると認められる人を友としなさい。また人間は過つものですが、それを認めて改めることに躊躇してはなりません。不断に進歩向上をするという覚悟をもってこそ、威厳も出てくるものです。

 

この「学べば~」のところは「不」が抜けてしまった可能性があるというので、「学ばざれば則ち固ならず」(学び続けなければ立場も堅固にならない)という意味でもいいかもしれませんが、ここでは上述の方が面白いと思ってそうしています。

人は経験を積めば積むほど「固く」なってしまうものです。日本全体として戦後のたった40年弱の成功体験から抜け出せずに25年も失われた時代を演じています。固く、は火宅に通じるのかもしれません。

ただ、本当の成功者は決して固まらず、常に素直で柔軟な精神を持っていたと思います。一方でそれを失うと晩節を汚すことになってしまうようです。

松下幸之助さんに大前研一氏がコンサルを行ったとき、色々とそれまでのタブーを変えなければいけないことを説明しに行ったらしいのですが、他の役員は「私には言えない」(なんせ経営の神様ですからね)というなか、一つ一つ説明したところ、

「ほな、そうしなはれ」

と仰ったそうです。大前健一さんご本人から聞いたことがありますが、大変感動されていました。

偉くなればなるほど、簡単に自分の意見を変えるとなめられるとか思ってしまって、逆に意固地になる、人の意見を聞かなくなるという人が少なからずいます。しかし本当はそういう人ほど人の話に謙虚に耳を傾けなければいけません。それは簡単に人の話をうのみにするのではなく、自分の頭で考えて判断するためにすることです。変えるべきは変える、残すべきは残す、それを判断するのが役員の仕事です。

本当の威厳はそういうところから生まれる安定感、あの人なら任せられる、信頼できる、そういったものだと思います。

私はこの章、とても味わい深いと思っています。

【参考】

president.jp