古典を読んで考えるブログ

東洋古典を中心に読んでいって、日常起こる出来事とつなぎ合わせて考えるブログです。

餘力あらば則ち以て文を学べ ~学ぶ順番を間違えてはいけない

今日は3時半に目が覚めてしまい、起床してしまいました。

明日のお昼からクアラルンプールに行きますが、マレーシアでも更新は続けようと思います。また違った発想がでるかもしれません。

 

子曰く、弟子入りては即ち孝、出でては即ち弟、謹みて信、汎く衆を愛し仁に親しめ。

行いて餘力有らば則ち以て文を学べ。

 

【解釈】

門人たちよ、人として家にあっては父母によく仕え、外にあっては目上の人の言うことによく従い、誠実に物事に当たり、ひろく世間の人々を信愛し、仁徳ある立派な人とよく交わるようにしなさい。それをして余力があれば、(詩書六芸などの)学問を学びなさい。そうすれば自分の体験や経験をより深く学び、洗練することができるでしょう。まず実質の人間としての在り方を確り身に付け、体裁を整えるのはその後であって、逆ではないことに気を付けなくてはなりません。

 

忘れられない出来事なのですが、あるセミナーに出席しましたら26歳の方が40代半ばの方に対して初対面にもかかわらずおよそ無礼な態度を取って本人は気づいていないということがありました。その26歳の方は大学院を出られたとのことなのですが、まさに学校で何を勉強してきたのかと周りの人間はみな感じていたような気がします。

今の日本ではなぜか学問を先にし、余力があれば道徳を学べ、といった風潮があるように思え、大変危惧しています。学問などは後からでもできるのであって、まずもって世間を恙なくわたっていけるだけの常識や生活態度、いわゆる躾というものが重要なのではないかと思います。

そもそも不思議なのですが、本田宗一郎にしても松下幸之助にしても学問はありませんでしたが、あれだけの偉業を成し遂げ人徳もありました。三洋電機の創業者、井植歳男さんは松下幸之助さんの義弟ですが、

 

「兄貴は尋常小学校、俺は高等小学校。兄貴の方が3年早く社会に出ている。この差は一生かかっても追いつけないかもしれない」

 

といって、俺は三つの海にでるんだと三洋電機を立ち上げられました。

実質のない頭でっかちの学問などは空理空論であって用をなさないどころか害になります。私自身も大学院まで勉強させてもらいましたが痛いところです。

 

学問は大切です。それを行うことで経験だけの世界から脱することができ、視野が広がり人間が豊かになります。ただ、それを至上とすると逆に人間の幅が狭まってしまうので、知行合一、バランスをきちんととることが大切ですね。